朝にまつわる言葉10選!東雲や朝戸風、朝の情趣を愉しむ表現

日本語には、朝にまつわる美しい言葉がたくさんあります。空を淡いサーモンピンクに染める東雲や、季節の香りを運ぶ朝戸風。そんな言葉を知ると、朝が待ち遠しくなりませんか?

朝の美しい光景や、取り入れたい朝の習慣など、朝にまつわる美しい言葉を集めました。

思わず早起きしたくなる美しい光景

一日が始まる朝。太陽が昇ると光が溢れ、日常が動き始めます。そんな朝だからこそ出会える美しい光景、美しい言葉があります。

東雲や朝月夜など、思わず早起きしたくなる、朝にまつわる言葉を紹介します。

朝の言葉(1)白白明け(しらじらあけ・しらしらあけ)

白白明けとは、夜が明ける頃に、空がうっすらと白んでいく様子を表す言葉です。

白々明けを迎えた景色は、水墨画のような世界観。身動きするのがためらわれるような、静謐な空気に満ちています。

白白明け。「白」という漢字が二つ使われています。感じるのは、白く、そしてさらに白くといったニュアンス。白を重ねることで、少しずつ白くなっていく様子が伝わってきます。

闇に包まれた暗い夜から、うっすらと光差し込む明るい朝へ。少しずつ白くなっていきます。一日の始まりを「白」という色で迎えられるのは、なんだか幸せなことだと思いませんか?

清少納言は『枕草子』で、かの有名な一節を残しています。

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

だんだんと白くなっていく山際の美しさ、少し明るくなっていく朝の気配。そこにかかる、紫がかった細くたなびく雲の風情。清少納言にとって、春は「白々明け」がもっとも美しい光景だったのですね。

朝の言葉(2)東雲(しののめ)

東雲とは、太陽がのぼる前、やや黄みがかったピンク色に染まる、東の空を表す言葉です。

東雲はいわば、間もなく太陽が顔を出すというサイン。東雲の空には、もうすぐ夜が明けるという幸せな空気が漂っています。

日本の伝統色に、東雲の空を表した「東雲色」(しののめいろ)という色があります。こうしてみて見ると、東雲はサーモンピンクのような色合いですね。

たとえば海辺の旅館に泊まったら、美しい東雲を見る絶好の機会。少し眠たい目をこすりながら早起きして露天風呂に入ったら、そしてお天気も良ければ……美しい東雲と出会うことができます。

夜明け前にこんな優美な色と出会えたら、いい一日になりそうですね。

朝の言葉(3)朝月夜(あさづきよ)

朝月夜とは、明け方まで空に残っている月を表す言葉です。

うっすらと青白い空、そこにぽっかり浮かぶ月。とても美しい光景です。

朝月夜という言葉をじっと見れば「朝」と「夜」という反対の言葉。その二つをつなぐ「月」とう言葉。朝と夜のはざまに月を見つけた喜びが感じられます。

日本人にとって、月は特別な存在です。古くより月に美しさを見出し、愛でてきました。

平安時代の貴族は、水面に映る月や、杯に入ったお酒に映る月を眺めながら、詩歌管弦の宴を愉しみました。

なんと月を写すための池まで作られたのだとか。日本人の月への思い入れはかなりのもの。それほど特別な存在だったのですね。

いまから1200年前の平安貴族が愛でた月と、現代を生きる私たちが見上げる月。どちらも同じ月です。夜明けのひととき、時の流れを感じるのも風流ですね。

夜空に月が浮かんでいると、ただそれだけで絵になります。日本人は古来、月を鏡にたとえたり、棚田に映る月を愛でたりして、風流な光景を愉しみました...

朝の言葉(4)朝露(あさつゆ)

朝露とは、朝に葉の上などに降りた露のこと。露のように、はかないもののたとえにも使われる言葉です。

朝露をよく見かけるのは、気温が下がり始める秋から冬の早朝。そのため俳句の世界では、朝露は秋の季語として使われます。

秋の早朝、彼岸花をしっとりと濡らす朝露の美しいこと。

二十四節気を見ても、秋は「白露」「寒露」と露がつく言葉が目立ちます。先人たちは、秋になると夜明けから野に出て、朝露を愛でていたのでしょう。

さらに細かく七十二候で見れば、白露の初侯は「草露白し」。とても優雅で情趣ある世界観です。

朝、草に降り露が白く光る。それはとりもなおさず、朝の涼しさがくっきり際立ってきたということですね。

もちろん朝露が見られるのは、秋だけではありません。たとえば春。朝露を受けて咲く桜のことを「朝桜」と呼びます。春の朝露には、透き通った美しさがあります。

そして夏の朝露は、とても涼しげです。

朝露や 撫でて涼しき 瓜の土

これは瓜(うり)を主役にした、松尾芭蕉の句。「朝露に濡れた、なんと瑞々しい瓜なのだろう。瓜についた土を撫でてみると、なんとも言えない土の涼しさが伝わってくるかのようだ」。そんな芭蕉の感慨が伝わってきます。

「朝露や」としたところに、朝露に感動した芭蕉の心持ちが感じられます。芭蕉は瓜が好物だったのだとか。瓜にまつわる、こんな楽しげな句も残しています。

初真桑 四つに断たん 輪に切らん

真桑とは、真桑瓜(まくわうり)のこと。句意としては「初物の真桑瓜、なんと美味しそうなのだろう。さて、これを十文字に刃を入れて四つに切るか、それとも輪切りにしようか」といったところ。

好物を前にして、そわそわとしている芭蕉の様子が思い浮かびます。それほど心待ちにしている瓜。朝露がついたままの新鮮な瓜を見たら、それは感動したのでしょうね。

朝の言葉(5)彼誰時(かわたれどき)

彼誰時とは、明け方の薄暗い時間帯を指す言葉です。

もうすぐ夜明け、でもまだ日が昇る前。光が差さなければうっすらと暗く、周囲の景色がよく見えません。人がいても、顔の見分けがつきません。

「彼は誰?」から「彼誰時」という言葉が生まれました。彼誰時と書いて、かわたれどき。言葉の由来も、そして響きも美しい言葉です。

取り入れたい朝の習慣

何かと慌ただしい朝。でも、心を整えるための習慣を取り入れることで、朝は心地いい時間になります。朝茶や朝涼みなど、朝の習慣にまつわる言葉を紹介します。

朝の言葉(6)朝茶(あさちゃ)

朝茶とは、朝飲むお茶のこと。お茶の世界においては、夏の風炉の時期、太陽が昇らぬうちに始める茶事を指します。

忙しい朝にわざわざお茶を淹れるのは、面倒だと思うかもしれません。でも「朝茶は福が増す」ということわざをご存じでしょうか?

食後や疲れたとき、丁寧にいれたお茶を飲むと、ほっとします。そんなお茶を一日のスタートに飲むと気持ちが落ち着き、心も整うはず。

古くは養生の薬として飲まれたお茶。目覚めに飲む温かいお茶は、覚めきらぬ身体にスイッチを入れる役目も果たします。まさに“福が増す”ですね。

一杯のお茶が幸せを運んでくれるなら、少し早起きしてお茶を飲むのもいいなと思えてしまいます。

朝茶を詠んだ、松尾芭蕉の一句。滋賀県・大津の本堅田祥端寺に、いまも句碑が残っています。

朝茶飲む 僧静かなり 菊の花

芭蕉の視線の先には、朝茶を飲む僧がいます。朝のお勤めを終えた後でしょうか?ゆったりとくつろぎながら飲んでいるのでしょう。

その僧の目の前に広がるのが菊の花。なんとも静かで、心地よい秋の空気が伝わってくる一句です。

朝ほんの少しだけ早起きして、丁寧にお茶を淹れる。朝の景色を眺め、豊かな時間がもてたことに感謝しながら飲むお茶は格別です。

朝の言葉(7)朝涼み

朝涼みとは、夏の朝、まだ気温が上がりきる前に涼をとることを指す言葉です。

打ち水をしたり、風鈴の澄んだ音色に耳を傾けたり。ほんの少しの工夫を取り入れることで、夏の朝を快適な時間にすることができます。

夏の朝、庭先で咲く朝顔を見るのも簡単に取り入れられる朝涼みです。

朝顔はその名の通り、朝咲く花。むしろ“朝にはもう咲いている花”といったほうが正確でしょうか。

品種にもよりますが、朝顔には「前日暗くなってから8~10時間後に咲く」という習性があります。そのため夜明け前から咲く朝顔もあるのです。

青や紫、そして白。朝顔の冴えた色合いには、あたりの空気を落ち着かせる佇まいがありますね。ちなみに「草」をつけた「東雲草」は、アサガオの別名です。

朝顔といえば、『茶話指月集』に収められている、千利休の「一輪の朝顔」のエピソードが有名です。その話は、こんな一文から始まります。

宗易、庭に牽牛花みことにさきたるよし太閤へ申上る人あり 

牽牛花とは朝顔のこと。宗易は千利休、太閤は豊臣秀吉を指します。利休の屋敷庭に見事な朝顔が咲いているらしい。人々はうわさし、秀吉の知るところとなります。

それならばと、屋敷を訪ねた秀吉。ところが露地の朝顔はなぜか、ことごとく切り取られた後。咲き乱れていたはずの朝顔が、まったく見当らないのです。

満開の朝顔を見ながら茶を飲もうと思っていた秀吉。がっかりして茶室に入ったことでしょう。ところがその先がさすが千利休、なのです。

小座敷へ御入あれハ、色あさやかなる一輪床にいけたり 

そう、なんと茶室に入ると、たった一輪、色鮮やかな朝顔が秀吉を待っていました。美しい朝顔をたくさん見せるのではなく“最高の一輪”を選りすぐり、床の間に飾っていたのです。

一輪であるがゆえに際立つ朝顔の美しさ。朝の空気の中で、冴え冴えと輝いたことでしょう。

朝の言葉(8)朝戸風(あさとかぜ)

朝戸風とは、窓を開けたときに吹き込んで来る朝の風のこと。今日はどんな朝戸風が吹くのだろうと考えると、朝窓を開けるのが楽しみになりますね。

朝戸風は、季節の香りを運んでくれる風でもあります。春の風は、どこか甘く軽やか。花や芽吹いた草木の香りを感じます。

夏の風は、ならではの草や地面が焼けたようなにおい、秋の湿った落ち葉のようなにおい、そして冬の乾いたにおい。朝戸風で季節を感じたら、一日を心地よく始めることができそうです。

朝戸風を感じるためにできる工夫が、窓の外に香りのする季節の花を植えておくこと。たとえば春先ならヒヤシンス。

窓を開けた途端、瑞々し青さと甘さを感じさせるヒヤシンスの香りが、朝戸風と一緒に、部屋の中に流れ込みます。

朝戸風はいわば、朝起きて最初に感じる外の空気。一日を心地よく始められる朝戸風を感じたいものですね。

冬の朝にまつわる言葉

冷え込む冬は、朝起きるのにほんの少し“思い切り”がいる季節。でも、花模様と出会える朝氷や、小さな冬草が霜に包まれる露の花など、冬だからこその幻想的な光景もあります。

こんな美しさと出会えるなら、冬の朝も悪くない……そんな気持ちになる、美しい朝の言葉を集めました。

朝の言葉(8)白息(しらいき)

白息とはその名の通り、寒いときに出る白い息のこと。白息と書いて「しらいき」と読む、音の響きが美しい言葉です。

「息白し」(いきしろし)となると、俳句における冬の季語。吐く息が白く見えることを指します。

白息が出る頃は、気温がぐっと下がる時期。周りを見渡せば冬景色に包まれています。凍滝(いてたき)凍土(いてつち)氷湖氷海。あちこちで凍てつく景色と出会います。

緑も姿を隠します。たとえば、枯野(かれの)冬田(ふゆた)。春や夏とは違って、色の少ない季節を迎えます。

でも、冬枯れの景色の中だからこそ、山茶花や椿の赤が映えます。凛と咲く姿を見ると、背筋が伸びる想いです。

そして寒い季節だからこそ、美味しい料理もたくさんあります。白息が出るような寒い朝、湯気を上げる味噌汁を見ると、それだけで幸せな気分になりますね。

梅のつぼみがほころぶのを愛で、指折り数えて開花を待つ愉しみも、この時期ならではです。

白息が見えたら、冬が深まっているサイン。冬を存分に愉しめる季節の到来です。冬の景色や美味、とことん愉しみたいものです。

朝の言葉(9)朝氷(あさごおり)

朝氷とは、朝薄く張る氷のこと。冬の季語としても使われます。

庭の手水鉢に薄く氷が張ったり、近所の池を見れば氷が張っていたり。朝氷を見ると、夜中から朝にかけての強い冷え込みを連想させます。

朝氷の表面には、まるで花のような文様である「氷の花」ができることもあります。

氷の花と出会えるかもしれないと思うと、朝氷を見るのが楽しみになるものです。

天気予報で「明日の朝は全国的に強く冷え込み、都心も氷が張るほどでしょう」といった表現を聞けば、翌朝は朝氷が見られるチャンス。少し早起きして寒さに身を縮めながら、朝氷を探すのもいいものです。

ちなみに春先になっても、まだ薄氷が張る日があります。先生な薄さで、まるでセロファンのよう。この時期の氷は「薄氷」と書いて「うすらい」と読みます。とても美しい春の季語です。

朝の言葉(10)霜の花

霜の花とは、冬の寒い朝、花や葉、地表に降りた霜の美しさを花にたとえた言葉。冬の季語でもあります。

霜の花と出会えるのは、ぐっと冷えた早朝だけ。この上なく清らかな、まるで芸術品のような美しさです。

今のようにエアコンのない時代。先人たちにとって、冬はもっと厳しいものだったに違いありません。その分、春の到来が待ち遠しかったはず。

庭や野に出て霜がつくる世界を花に見立て、心に春をつくりだすことで、厳しい寒さの中を耐え抜いたのですね。

その心の強さに心を打たれると共に、冬の野にも花を見出す美意識に感動します。

まとめ

いつものように起き、いつものように朝支度をして……そんな風に、何気なく迎える朝の何と多いことでしょう。私たちの知らないところで、空は少しずつ白さを増し、サーモンピンクに染まり、私たちの日常が始まるのを待ってくれているのですね。

朝という時間が好きになったら、一日がもっと心地よく始まるはず。じりじりと暑い夏の朝も、凍えるように寒い冬の朝も、愛しく感じられそうです。

スポンサーリンク
レスポンシブ広告(1)言葉の庭
レスポンシブ広告(1)言葉の庭

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
レスポンシブ広告(1)言葉の庭