秋にまつわる言葉13選!薄紅葉や菊日和、和の情緒を味わう言葉

黄色や赤、オレンジに紅葉した木々、黄金色に輝く田んぼ……秋は、美しい色彩に満たされる季節です。澄み切った秋の空気に虫の音も染み渡り、静けさに包まれる季節でもあります。

秋の訪れを知らせる「薄紅葉」や「白露」から、秋の終わりを告げる「紅葉かつ散る」まで、秋の風情をより味わうための、秋にまつわる美しい言葉を集めました。

秋の気配が漂い始める頃

朝夕に吹く風が涼しくなると、秋の気配が漂い始めます。ふと見上げると、ほんのり黄色や赤に色づいた葉、露をまとった朝の草花……秋は少しずつ、日々の暮らしの中で姿を見せてくれます。

薄紅葉や桐一葉など、ふと秋の訪れを実感させてくれる、風流な言葉を紹介します。

秋にまつわる言葉(1)薄紅葉(うすもみじ)

薄紅葉とは、紅葉し始めて淡く色づいた木の葉を指す言葉です。

薄紅葉は、緑や黄緑から、赤や黄色、オレンジへと染まりゆく過程。秋色に織り上げられていく、まさにその様子を捉えた言葉です。

もちろん秋真っ盛りになり、山全体が燃えるように輝く紅葉は見事。錦秋ここに極まれり、そんな有無を言わせぬ迫力があります。

でも、薄紅葉には、過ぎ去った夏の名残と、これから秋が深まっていく気配が漂います。目にも鮮やかな紅葉とは違った、静かな情趣がありますね。

ちなみに「もみじ」という言葉の語源は、染め物の「揉み出づ」(もみいづ)だとされています。

先人たちは、鮮やかな赤や黄色が少しずつ揉み出されて、葉が色づいていくと考えたのだとか。なんと優しいまなざし、風流な感じ方なのでしょう!

薄紅葉はまさに、葉が懸命に色を揉み出している真っ最中。そう考えると、紅葉しきっていない葉が、むしろ愛しくなってきます。

一年の中で、樹木が紅葉するのはほんのひととき。冬支度をする、そのわずかな期間だけです。それならば薄紅葉を見た瞬間から、しっかりと目にとどめたいものですね。

秋にまつわる言葉(2)初紅葉(はつもみじ)

初紅葉とは、その年に初めて見る、色づいた紅葉のこと。“初”という言葉に、ようやく今年の紅葉に出会えたという喜びが感じられます。

なにぶん猛暑続きの近年、早く涼しくなればと思いながら過ごす日々です。そんな中、ふと見上げた木の葉に秋色が混ざっている……待ちわびた秋だけに、感慨深さもひとしおですね。

今年はいつ、どこで初紅葉と出会えるのでしょうか?まだ見ぬ初紅葉に想いを馳せると、まわりの景色を見るのが楽しみになります。

初紅葉と出会えたら、本格的に紅葉する季節も間近。野山や日本庭園など、名所へ紅葉狩りに出かけたいものです。

秋にまつわる言葉(3)桐一葉(きりひとは)

落葉樹の中で、秋になるといち早く葉を落とすのが「桐」の木。桐一葉とは、そんな桐の葉が一枚落ちたのを見て、秋の訪れを知るという言葉です。

桐の葉は、若木のうちはとても巨大。まるでうちわ、中には座布団と称されるほど大きな葉になることもあるほどです。

秋になるとカサカサに乾燥し、大きな葉が落ちてゆきます。バサリという音にも秋の風情が感じられます。

日本で有数の桐の産地である会津地方。昔は女の子が生まれると桐の木を植える風習がありました。

桐は成長が早く、15年から20年で大きくなります。ちょうど嫁入りするときに、箪笥や長持に仕立てて、嫁入り道具として持たせるのです。

かの地では秋になると、そこかしこで「桐一葉」の光景が見られたのですね。紅葉ではなく、桐の落葉で知る秋の訪れ。それもまた風流な秋の一幕です。

秋にまつわる言葉(4)簾名残 (すだれなごり)

簾名残とは、涼しくなって役目を終えた簾を外し、片付けること。過ぎ去る夏を惜しむ気持ちも含む、日本情緒漂う言葉です。

暑い夏が過ぎ、心地いい風が吹き始めるとほっとします。もう強い日差しがじりじりと肌に照りつけることはありません。秋刀魚に松茸、柿など、食べ物もおいしくなる季節です。

でも、喧しかった蝉の鳴き声が、気づけば聞こえなくなっていたり、夜に夏の格好で外に出ると、いつの間にか肌寒くなっていたり……夏が終わると気づいた瞬間、切ないような寂しいような気持ちになるから不思議です。

誰もが経験したことのある、夏の終わりの物悲しさ。簾名残には、そんな憂いが感じられます。

ちなみに「簾名残」は秋の季語「簾の名残」「簾外す」「簾の別れ」も同じく、秋の季語です。「簾の別れ」という言葉にも、日本人ならではの繊細な心の動きを感じます。

秋にまつわる言葉(5)白露(はくろ)

二十四節気では、9月8日ごろに「白露(はくろ)」を迎えます。草花についた露に「白」をつけた、とても美しい言葉です。

白露とは「陰気ようやく重なり、露凝って白し」から来た言葉。この頃になると、夜間に大気が冷え、草花に朝露が見られるようになります。

草むらからは虫の音が聞こえ、空にはうろこ雲。ススキも少しずつ穂を開き始めます。風に吹かれ、物憂い様子で銀色の花穂を揺らすススキ。その姿は郷愁を誘います。

夏を“動”とすると、秋は“静”。秋は、動から静へと移りゆく過渡期です。ふと気づく白露も、滑らかに変わりゆく季節を知らせてくれる存在の一つです。

秋にまつわる言葉(6)忘れ扇(わすれおうぎ)・捨て扇(すておうぎ)

忘れ扇とは、涼しくなって使わなくなり、忘れられてしまった扇を指す言葉です。捨て扇も同じ意味。夏が過ぎ、捨て置かれている扇ということですね。

忘れ扇は秋の季語、捨て扇も同じく秋の季語です。他にも「扇置く」という季語もあります。

蒸し暑い夏には欠かせない扇も、秋風が吹き始めれば、次第に使わなくなります。すぐ使えるようにと身近な場所にありながら、ふと気づけば手に取ることも忘れがちになっていた……そんな気づきを表現した言葉です。

忘れ扇に気づいて片付ける頃には、秋も一気に深まり始めます。まわりの景色が紅葉で満たされる「山粧う」季節も間近です。

いよいよ秋本番

秋本番を迎えると、木々が一斉に色濃くなります。紅葉は、来たる冬に向けての準備。落葉する冬枯れの季節まで、つかの間の見事な景色です。

照り葉や山粧う、紅葉の帳など、秋まっさかりの言葉には、紅葉を表す言葉がたくさんあります。「秋といえば?」と問われて思い浮かぶ風流な言葉を紹介します。

秋にまつわる言葉(7)山粧う(やまよそおう)

山粧うとは、山の木々が色づき、まるで化粧をしたように見えるさまを指す言葉です。

山が化粧しているとは、なんと美しい感じ方なのでしょう。ただいま化粧中、そんな風に考えると、紅葉の変化を見る目が変わります。

最初はほんのりと、控えめに頂上のほうだけ。そして段々に、あるいはまだらに化粧するさまは、秋が深まることを教えてくれます。

秋に化粧をする山も、来たる冬は「山眠る」季節。そして春になると一斉に芽吹き、「山笑う」季節を迎えます。夏になれば緑が濃くなり「山滴る」季節です。

山という舞台は私たちに、一年を通してさまざまな表情を見せてくれます。四季のある国に生まれて良かったと、しみじみ思います。

秋にまつわる言葉(8)照り葉(てりは)

照り葉とは、秋に紅葉して美しく照り輝く葉のこと。つやつやと輝く葉の眺めは、まさに秋ならではの光景です。

同じ意味を表す言葉に「照り紅葉」(てりもみじ)もあります。「照り葉」と「照り紅葉」、どちらも秋の季語です。

照り葉という言葉を聞いてふと思い出すのが、童謡『真っ赤な秋』です。

真っ赤だな 真っ赤だな つたの葉っぱも真っ赤だな
もみじの葉っぱも真っ赤だな

『真っ赤な秋』(薩摩忠作詞・小林秀雄作曲)より

秋は、もみじもつたも、あらゆる葉が真っ赤になる季節。赤ではなく、真っ赤。そこに照るという要素を感じ、秋の世界の美しさを実感します。

秋にまつわる言葉(9)紅葉の帳(もみじのとばり)

紅葉の帳とは、一面に紅葉した様子を「帳」に見立てた言葉。俳句の世界では、秋の季語として使われます。とても詩的な表現ですね。

帳とは本来、室内と外部の間に垂らし、内側を見えないようにする布のこと。紅葉が色濃くてむこう側が見えないとは、なんと風流な見方なのでしょう!

紅葉に染まる並木道、木々の茂る渓谷。秋になったら、たくさんの帳を見つけたいものです。

秋にまつわる言葉(10)秋の香(あきのか)

秋の香とは、しみじみと秋を感じさせるものの香りのこと。主に、秋の味覚の王様・松茸の香りを指します。

焼き松茸に松茸ご飯、松茸の愉しみ方はさまざま。でもやはり、秋の旬がたっぷりと香り立つ日本料理といえば、松茸と鱧の土瓶蒸しは外せません。

松茸と鱧は、いわゆる“出会いもの”。名残の鱧と、走りの松茸。その出会いは、ほんの一瞬です。秋の鱧は、産卵を終えた後。身の厚みが増し、脂も乗っています。夏場の鱧とは違った味わいです。

その時期を逃さず、土瓶という狭い空間に閉じ込める。季節の移ろいを大事にする日本料理ならではです。

「松茸の香り」ではなく、「秋の香」。そう言いかえるだけで、ますます香りが気高いものになりそうです。

秋にまつわる言葉(11)菊日和(きくびより)・菊晴れ(きくばれ)

菊日和とは、菊が咲く頃の、穏やかな秋晴れを表す言葉です。菊の香りが漂ってきそうな美しい言葉ですね。

菊晴れという言葉もあります。意味も同じで、菊見にぴったりのよく晴れた秋空を指します。

菊花というと、仏花というイメージがあるかもしれません。でも菊日和に菊晴れ。こうした言葉を見ると、日本人にとっていかに菊が身近な存在であったのかが分かります。

たとえば平安時代、貴族たちは宮廷で「菊花の宴」を催しました。

菊花の宴とはその名の通り、菊を愛でる宴のこと。宮中に菊を飾って鑑賞したり、杯に菊の花びらを浮かべた菊酒を飲んだりする風流な宴です。

菊花の宴が開かれたのは、旧暦9月9日のこと。いわゆる「重陽の節句」です。旧暦9月9月は、いまの暦では10月中ごろ。ちょうど菊の花が美しく咲き揃う時期です。

静かな秋の夜、澄んだ空気に包まれて愉しむ菊の香り……目を閉じて想像すると、菊の香りが漂ってくるかのようです。

秋の終わり

美しい紅葉を愉しむ間にも、季節は着々と冬へと向かいます。ほんのり色づいて薄紅葉だった葉も、盛りをすぎて散り始めます。吹く風に寒さを感じることも増えてきます。

「紅葉かつ散る」や「冬隣り」など、秋の終わりを感じさせる言葉を紹介します。

秋にまつわる言葉(12)紅葉かつ散る(もみじかつちる)

「紅葉かつ散る」とは、紅葉しながら、かつ散ること。色づきながら、その一方で散っていく……間もなく秋が終わることを予感させる、風流な言葉です。

「紅葉かつ散る」は秋の季語です。同じ光景を表す言葉に、「色葉散る」「色ながら散る」「木の葉かつ散る」もあります。これらもすべて秋の季語、とても風情のある表現です。

この時期のお愉しみの一つが、敷きもみじ。地面に散った葉は、まるで絨毯のよう。空を覆うように色づく紅葉も見事ですが、石畳や苔の上に降り積もった紅葉にも、目を奪われます。

ちなみに紅葉かつ散るという言葉、「かつ」がとても大きな意味を持っています。紅葉しながら散るから、秋なのです。

「かつ」が入らない「紅葉散る」は、すっかり散り終わった状態のこと。なんと冬の季語になるのです。

薄紅葉から始まった秋。紅葉かつ散るになると、間もなく冬も間近です。美しい光景を目に焼き付け、秋の滋味で身体に栄養を届け、冬を迎えたいものですね。

秋にまつわる言葉(13)冬隣(ふゆどなり)

冬隣とは、冬がすぐそこまで来ていることを感じさせる、晩秋の佇まいを指す言葉です。過ごしやすい秋は、足早に過ぎ去っていくのですね。

はらはらと舞う落ち葉、足元にはどんぐりなどの木の実。紅葉で華やかに化粧していた山々も、少しずつ「山眠る」へと準備を進めていく時期です。

11月8日ごろには、二十四節気の「立冬」(りっとう)を迎えます。木枯らしが吹き始め、冬の気配が感じられるころ。秋の終わりは、冬のお隣さん。本格的な冬も間近です。

まとめ

一言で秋と言っても、秋は刻々と姿を変えます。ほんのりと葉が色づく初秋、燃えるような景色に包まれる仲秋、そして冬の気配が漂い始める晩冬。それぞれに、ならではの風情があります。

今回は、秋にまつわる言葉を紹介しました。美しい言葉で秋を存分に感じ、冬を迎えたいものですね。

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