月にまつわる言葉7選!空の鏡や田毎の月、優雅で風流な光景

夜空に月が浮かんでいると、ただそれだけで絵になります。日本人は古来、月を鏡にたとえたり、棚田に映る月を愛でたりして、風流な光景を愉しみました。

「空の鏡」や「田毎の月」といった言葉を知っていたら、夜空の風景が違って見えませんか?月にまつわる言葉の中から、“月がつくりだす美しい風景”を表す言葉を紹介します。

月にまつわる言葉(1)空の鏡(そらのかがみ)

秋空に輝く満月を「空の鏡」と呼びます。澄み切った秋の空、そこに浮かぶ鏡。なんと詩的な表現なのでしょうか。

現代を生きる私たちにとって、鏡といえばピカピカと光るガラス製のもの。でも古来使われていたのは、銅でつくられた和鏡(わきょう)でした。同じ鏡といっても、印象が異なりますね。

和鏡はその名の通り、日本で独自の発展を遂げた鏡です。平安時代に入り、盛んにつくられるようになりました。

平安時代といえば、宮廷で華やかな貴族文化が花開いた時代。きっと貴族女性たちが、こぞって求めたのでしょう。

和鏡の背面には、文様が施されていました。山吹や桜、萩、菊などの花、そして水草や薄(すすき)。雀や鶴など、親しみのある動物も描かれました。

私たちが鏡と聞いて想像するのは、実用的な鏡です。でも古人にとって鏡は、身だしなみを整えるための道具でありながら、情緒ある風物が描かれた工芸品でもあったのですね。

秋の夜空に浮かぶ、美しい和鏡。そう想うと、「空の鏡」という響きに、ますます情趣が感じられます。

月にまつわる言葉(2)田毎の月(たごとのつき)

田毎の月とは、たくさん並んだ狭い田の一つひとつに、月が映るさまを指す言葉です。水を張った田んぼに映る満月。とても風流な眺めです。

田毎の月は古くから和歌に詠まれ、絵にも描かれました。たとえばこちらは、安藤広重の描いた“田毎の月”です。

安藤広重《六十余州名所図絵/信濃 更科田毎月 鏡台山》

たしかに“田んぼごと”に、月影が映っていますね。山の斜面に何枚も広がる棚田、一つ一つの田に映る月。とても幻想的です。

田植えを終えた直後でしょうか?水を張った田んぼに、小さな苗が植わっているのが見えます。田んぼに月が映るのは、まだ稲が育っていないからこそ。この時期だけの光景だと思うと、ますます美しく見えてきます。

ここは、長野県千曲市、姨捨(おばすて)の棚田。古より観月の名所として知られた名月の里でもあり、古くは『古今和歌集』に詠み人知らずの歌が残っています。

江戸時代に入ると、松尾芭蕉も姥捨を訪れました。かの有名な『更科紀行』は、京都から尾張に至り、木曽路を経て更科・姨捨の月を愛で、江戸に帰るまでの紀行文です。更科紀行の冒頭には、

さらしなの里、姥捨山の月見ん事、しきりにすゝむる秋風の心に吹きさはぎて

(出典)松尾芭蕉『更科紀行』

とあります。芭蕉にとって姥捨の月は、旅して見てみたいと恋焦がれる存在だったのですね。

姥捨の山麓には、いまも棚田が広がり、美しい姿を残しています。わずか100平方メートルにも満たない場所に、2000余りもの棚田が連なるのだとか。

多くの文人墨客を魅了してきた姥捨の棚田。月の美しい季節に訪れてみたいものです。

月にまつわる言葉(3)淡月(たんげつ)

淡月とは、光の淡い月のことを指す言葉です。

ふと夜空を見上げたとき、くっきりと見える月を見るとうれしくなります。でも淡い光をそっと優しく届けてくれる月もまた、風情があると思いませんか?

淡月が浮かぶ夜空を想うと、ふと思い浮かぶピアノ曲があります。それは、フランス印象派を代表する作曲家・ドビュッシーによる『月の光』。終始ささやくように演奏される、心に染み入る美しい曲です。

静けさに満ちたメロディーは、限りなく優しくて、どこか切なくて。淡月の幻想的な光景にぴったりです。

くっきりと明るい月も見事、でも淡い光の月も美しいものです。静かな音楽を聴きながら淡月の光景を眺めたら、心がすーっと落ち着いていく心地がしそうですね。

月にまつわる言葉(4)朧月夜(おぼろづきよ・おぼろづくよ)

朧月(おぼろづき)とは、柔らかくほのかにかすんで見える春の月のこと。月朧(つきおぼろ)も同じ意味です。

そして、朧月が見える春の夜の情景のことを、朧月夜と呼びます。朧月と月朧、そして朧月夜、すべて春の季語。音の響きが柔らかく、かすかな光を愛でる感性にも、日本人の美意識を感じます。

春は空気中に含まれる水分が多くなり、空気がぬるむ時期。だから月がかすんだように見えるのですね。

名月といえば、真っ先に思い浮かべるのは中秋の名月。「天高く馬肥ゆる秋」ということわざ通り、秋空は澄み切って、月もくっきりと見えます。

そんな秋空に浮かぶ月とは対照的に、朧月は輪郭もぼんやり、どこか物憂げな雰囲気です。でもそのかすんだ風情もまた、余韻を感じさせてくれます。

春夏秋冬、季節が巡れば空が変わります。空が変われば、月の様子も変わります。四季のある国に生まれたことに感謝しながら、季節ごとに美しい月を愛でたいものです。

月にまつわる言葉(5)名残の月(なごりのつき)

名残の月とは、夜が明けて明るくなりかけている時間帯、朝方の空にぼんやりと残っている月のことを指す言葉です。

終わりゆく物を最後まで慈しむ「名残」は、日本人の美意識。季節が繊細に移ろう国だからこそ、名残を惜しむ感性が育まれてきました。

ぱっと咲き、ぱっと散る桜を愛でるのは、何よりの名残を惜しむ美意識と言えるでしょう。舞い散る花びらを見て美しいと感じるのは、儚さを“あはれ”と感じる日本人ならではです。

桜吹雪が吹くと花びらが散り、川面に浮かびながら流れていきます。その様子を筏にたとえた花筏(はないかだ)は名残の美。終わり際の美しさには、哀愁を伴う独自の世界観がありますね。

名残の月が浮かぶ空には、過ぎ去る夜の気配が残っています。と同時に、新たに始まる一日の清々しさもあります。

何かと忙しい朝。でも、ふと名残の月と出会えたら、しばらく愛でる心の余裕を持ちたいものです。

月にまつわる言葉(6)無月(むげつ・むつき)

無月とは、月が隠れてしまって見えないこと。特に中秋の名月の夜、月が見えないことを指す言葉です。

いかに中秋の名月を待ちわびていても、必ず月が見えるとは限りません。曇ることもあります。

折しも十五夜は、秋雨が降る季節。あいにく雨が降り、中秋の名月を鑑賞できないことも意外と多いのです。

もちろん月そのものを眺めて過ごせたら、何よりの月見です。でも見えない月に想いを馳せ、見えぬ月を愛でるというのも粋だと思いませんか?

月が厚い雲に隠れると、月の気配すら感じられません。曇っていて月が姿を見せないことを「曇る名月」とも呼びます。雨が降ってしまうと「雨月」となります。無月と曇る名月、共に秋の季語です。

でも、じっと夜空を眺めていると、すっと雲が切れる瞬間があります。今か今かと待ち、雲のすき間ができた途端、うっすらと指す月明かり。その一瞬の美しさを待ちわびて過ごすのも一興です。

月にまつわる言葉(7)月の宴(つきのえん)

月の宴とは、月を鑑賞しながら催す宴のことを指す言葉です。「観月の宴」(かんげつのえん)とも呼びます。華やかな夜の気配が伝わってくる言葉です。

日本人になじみのある月見の習慣。平安時代の貴族にとっては、優雅で風流な遊びの一つでした。月見はただ単に、月を見るだけの催しではなかったのです。

平安貴族たちは、雅楽の調べに耳を傾けながら月を愛で、漢詩や和歌を詠みました。池に舟を浮かべ、池に映る月を眺める舟遊びも好みました。なんと優雅なのでしょう!

当時は、空を直接見上げることは無粋なこととされました。水面に映る月を眺めたり、杯の中の酒に月を映して眺めたりすることが風流だったのです。

ちなみに月の宴の風習が始まったのは平安時代、嵯峨天皇が月の宴を開いたことがきっかけと言われています。

場所は、京都・嵯峨野にある現在の大覚寺。もとは嵯峨天皇の離宮として造営され、その後、離宮跡に寺が建てられました。

嵯峨天皇の離宮だった当時、その雄大な敷地内につくられたのが、日本最古の人工池ともいわれる大沢池です。この池は林や泉水もある林泉。なんと、月見を愉しむという目的で作られた池なんです。

嵯峨天皇は宴を開くにあたり、お客さまを招きました。その顔ぶれは、弘法大師や空海といった面々。文化人や貴族たちを招き、月の宴を催したのです。

月見をする人のことを「月の客」と言います。水面に浮かぶ月、華やかな雅楽の調べ。そして、華やかな月の客。なんとも粋な夜だったことでしょう。

いまでも大覚寺では毎年、中秋の名月を愉しむ「観月の夕べ」が開かれています。大沢池には船が浮かべられ、平安貴族のように舟遊びを体験することができます。

嵯峨天皇が月の宴を催してから、およそ1200年。同じ月がずっと私たちを照らしています。機会があれば、ぜひ行ってみたいものです。

まとめ

日本人は古来、花鳥風月を大事にしてきました。花鳥風月は、自然の風物を指す言葉であると同時に、対象を愛でる風雅な心や風流な遊びも指しています。

私たちは何かと忙しい毎日の中で、空を見上げることを忘れがちです。ときには月を見上げ、その風流を愉しみたいものですね。

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